2022年とイエスマン

f:id:ca_qa:20220117232941p:plain気がつくと、また年が明けていた。

2022年は希望で満ち溢れているといいなと思っていたし、

今も思っているけれど、なかなか上手くいかないものだ。

今年は大事な予定がたくさんあるので、

ちょっと1月から飛ばし過ぎで、疲れが溜まってきている。

無理している自覚もあって、昨日は1日中寝てしまった。

 

そういえば、今日はジム・キャリーの誕生日だそうだ。

私には昨年の後半からから意識していることがあって、

それは彼が出演していた『イエスマン』という映画に倣ったものだ。

基本的に誘われごと、頼まれごと、

何にでも「イエス」と答える、というもの。

 

私は友達はいない、用事もない、

出不精で、コミュ障(すごい、韻を踏んでる)、

1人が好きだし、お付き合いしている人もいない、

何も感じたくない考えたくない、殻にこもったタイプなので、

選択肢は基本的に「ノー」しかなかった。

 

でも、このコロナの世界が続く中で、

「世界そのものが閉じてるのに、自分がこんなにも閉じてたら、どうなるの?」

とある種の恐ろしさを感じ、その日はあまり眠れなかった。

今の人生は自分でイマイチだと思うし、変えたいとは思っているけど、

自分の思考が今の自分を作っているのだから、

同じ自分がその気持ちだけで選択肢を選んでも

イマイチなのは変わらないのでは?

つまり、自分が思った答えと反対のことを選び続けることで、

何かこの現状を打破できるのでは?と考えていた時に、

たまたま観た映画が『イエスマン』だった。

 

私が考えていた「自分とは逆の選択肢を選ぶ」とは、

少しだけ違うけど、結局私が考えていたことと一緒な気がして、

全てに対して「イエス」を選び続けることは、

言うだけならタダだし、おもしろいことがあるといいな、

と思って、やることにした。

 

結果は、結構おもしろかった。

まず、走るのが苦手なのにランニングクラブに入ることになった。

初回のランニングクラブに参加した日に同じマンションに友達ができた。

その友達と次の日に飲みに行くことになった。

知り合いが増えた。

1週間の休暇をとって、熊野古道を歩くことになった。

熊野古道の中辺路を歩き切った(写真はゴールの熊野本宮大社)。

理想の働き方をしている人に出会った。

そこでお見合い相手を紹介された。

 

…ここで、私はお得意の「ノー」を言ってしまったけれど、

もし「イエス」って言っていたら、どうなってたんだろう。

 

イエスマン』のオチは映画を観てほしいけれど、

結局「イエス」と言うのは、

停滞した自分の殻を打ち破るきっかけでしかない。

自分の思い込みで選択肢を減らしてしまうことをやめて

人生の主導権は自分にあるということを

自分自身を肯定しながら理解する。

その中でよりよい選択肢を選ぶことが重要なのではないか。

ということを学んだ。

 

何よりも、今までの自分だったら選ばない展開になったことを

しっかりと体感できて、世界って広いなと思えたことが収穫だった。

今もできる限り「イエス」と言うようにしているし、

去年だったら考えられないようなイベントにも参加しようとしている。

 

「イエス」と言えない時ももちろんあるし、

自分の性質上、無理をしてしまうこともあるけど、

バランスをとりながら、おもしろい選択肢を選んでいきたい。

そんな2022年にしたい。